拙僧のつぶやき

 

印空寺の大黒天神がちちんぷいぷいの『昔の人は偉かった」で紹介されました。                                  (2016年4月)
 去る四月二十八日(木)、MBS放送の番組「ちちんぷいぷい」の木曜日のコーナー『昔の人は偉かった』に印空寺の大黒天神が紹介されました。  
 インタビューや撮影時はとても緊張しましたが、庭や大黒天さま、開山印空上人がとてもきれいに放送され喜んでおります。今回撮影して下さったTV局のスタッフの皆様にはとても感謝しています。
 今後、この大黒天神さまが多くの生命を救済し、沢山の幸福をもたらしてくださるよう、しっかりお勤めをしていこうと思っております。

 

新型コロナウイルス (2021年1月)
 世界中で猛威をふるっている新型コロナウイルス。いつ終着するのか誰にも解りません。
人はゴール(期限)が決まっていると、そこに向かって頑張る、踏ん張る、努力するといった力を発揮できる生き物です。同時に、いつゴールが訪れるのか見えない戦いでは、その力は半減され、逆に絶望、諦め、孤独といった言葉に取りつかれやすくなってしまいます。
 今世界中の人々に問いただされているような気がします。本当に大切なものは一体何だろうか、と。
 法律やお金が人々を救ってくれることは事実ですし、もちろん必要不可欠であると思います。けれど、救済の根本にあるものは、やはり思いやり(慈悲)ではないでしょうか。
 他者に対する思いやり。医療従事者をはじめ、対コロナウイルスの最前線で戦っておられる方々への敬意と感謝。己の逆境に負けず、笑顔で、味で、おもてなしで、物で、歌で、言葉で、心で我々を励まし、和ませ、喜ばせてくれる全ての人々。下を向きそうな我々に勇気をくれ、上を向く力を与えてくれる人々。そのような多くの人々により、あらゆる場所で、形としては見えない他者を思いやる心が、凝縮され、飛び交い、人々の心に触れてはまた広がり、数えきれない人々を、知らぬ間に、気付かないうちに救っくれている。当たり前のように思ってしまっていたことの大切さに改めて気付く。その瞬間新たな感謝や思いやりが生まれる。そして、沢山の人々が共感し、体中に力をみなぎらせ、同じ方向を向く時、人の持つ豊かさや深さを知り、強くなる。
 人は、思いやる慈悲の心に導かれ、時に自己さえ犠牲にする。これこそが慈悲の心髄。
 多くの宗教が慈悲を中心においているのは、やはり、人の一番素晴らしく、美しい姿だからではないでしょうか。
 今こそ、思いやる慈悲の心をもって、人が人の心を救い、コロナ禍の終焉を迎えるときには、一人でも多くの人が笑っていることを、切に願っております。

 

食事に感謝 (2022年1月)
  コロナ禍となり2年近くが経ちました。以前のような生活が未だできない中、拙僧の楽しみの一つが、【おいしい食事を頂く。】 事です。仕事中にも関わらず、今日の夕食は何にしようか、おやつは、などとついつい食の事を考えてしまいます。食するという事がいかに大切で、かつ楽しいことであるかを改めて思い知りました。皆様の中にも、私と思いを共感される方は少なくないと思います。
 我々が口にするもの、これらは全て他生命の結晶です。肉類も、魚介類も、乳製品も、野菜も、調味料からスイーツ、お酒やジュース、アイスクリームまでも。そして、何より一番大切な水までも。大気中の有害物と一緒に降り注いだ雨や雪を、草木が、大地が、気の遠くなるような年月をかけ、ろ過し、美味しく、安全なものにしてくれている。その水が大地に染み出し、川となって流れ、母なる海へと注ぐ。大地の栄養をもらった海は、さらに豊かさを増し、多くの生命を育み、雨や雪となって再び大地へ帰っていく。それが新たなる水として、全ての生命を潤してくれる。
 酸素も当然そうだが、食は本当に地球上全ての生命の繋がりからなっている。コンビニやスーパーでよく見る【幕の内弁当】。これなどはまさに、多くの生命の結晶からなる宝石箱のようなもの。また、多くの料理に登場する卵。本当に有難い存在。でも本当の意味での感謝は卵にだけではすまない。もともと卵は鳥のもの。その鳥にも感謝。鳥が大きく成長するまでに食べるもの。その穀物などにも感謝。その穀物を育てた大地や水に感謝。たどっていくと限がない。結局地球上に生きるほとんどの生命に感謝することになる。それを毎回思い描くのは容易でない。なので、拙僧は料理そのものに感謝するようにしている。それなら関わった全ての生命への感謝の代わりになるかなーっと勝手に思っている。(ズルいかも・・・・)
 食べなくては、飲まなくては人は生きていけない。だからこそ、美味しく、楽しく頂く。同時に我々の糧となってくれている他生命に感謝すること、その命を無駄にしないことを忘れないでいたい。


国境  (2023年1月)
 大いなる宇宙に浮かぶ、緑の星地球。宇宙船から撮影されたその球体には、線などどこにも見当たらない。
【く・に・ざ・か・い】たるもの、いつから世界中に存在しているのか、無知な拙僧には解らない。国境が、世界、敷いてはこの星の全ての生命体にとって、平和でいられるために必要なものでるのならいい。実際平和にとって役に立っていることも沢山あるのでしょう。けれど、今のこの世界、何のために国境たるものが存在しているのか拙僧には解らない。
                                              他国の地、そこにある何かを欲し、                             無関係な人々の血と涙を流しながら、戦う。
 同種でる人同士が、暮らしや灯を消し去りながら、戦う。
 憎しみが憎しみを生み、同じ人であることを忘れ、戦う。
 人間以外の多くの生命も一緒に巻き込みながらながら、戦う。
 
 爆弾が一つ、地上に落ちる。そこにいた人の命が奪われる。そして、その地に住んでいる虫や爬虫類や土壌生物など、数えきれない他生命の命も一緒に奪われる。
 天秤にかけて、命の尊さとつりあえるものなど何もない。なのに、なぜ多くの命が奪われても戦うのか。そんなに欲しいもの、そこまでして手に入れたいものって、いったい何?
 国境がなければ国土もない。国土がなければ取り合うこともないのだが、大勢をいろんな意味でまとめるためには 境 は必要なのか。

 人間以外の生命体にとって、人の作った決まりは関係ないもの。同種で奪い合う人の姿、国境線など見えない人以外の彼らの目にはどう映っているのだろうか。
 
 私事ではありますが、戦いや差別が今もなお無くならない世界。そのことが何だか頭からずっと離れず、何をしていても今一つ楽しんだり喜んだり出来ない毎日です。